50年前、人は初めて
アイウエアを着た。
瞬間。
見える世界は変わり、
魅せる喜びを知る。
宿命。
未だ見ぬ美しいものを
追い求める
罪深き者となったのだ。
アイウエアを着た。
瞬間。
見える世界は変わり、
魅せる喜びを知る。
宿命。
未だ見ぬ美しいものを
追い求める
罪深き者となったのだ。
眼服 EYEWEAR
眼服 EYEWEAR
50th Anniversary Runway
“眼服 EYEWEAR”
“眼服 EYEWEAR”
50th Anniversary Runway
“眼服 EYEWEAR”
“眼服 EYEWEAR”
EYEVAN 50th Anniversary Runway 眼服 EYEWEAR
1972年、当時まだメガネがファッションアイテムとしては日常に取り入れられてなかった日本に「着るメガネ」というコンセプトを掲げ日本初のファッションアイウェアブランドとして誕生したEYEVAN。ブランド誕生から50年目となる今年9月、ブランド初となるランウェイショーを開催した。ショーのテーマは「人が初めてアイウェアを着た瞬間」。旧約聖書をモチーフに、各業界のトップクリエイターが異次元の舞台を創り上げた
DIALOGUE
“アイウェアブランドによるランウェイ”という斬新なアイデアを実現させた2人のクリエイターが語るEYEVANへの思い、そして、ものづくりへのこだわり

運命に導かれて
—— EYEVAN50周年を記念したランウェイ「眼服」において、Rakさんは全体を統括するクリエイティブディレクターとして、OSRINさんは主に映像をディレクションするゼネラルディレクターとして参加されたわけですが、おふたりがこのプロジェクトを手掛けることになった経緯を教えてください。
Rak 大学生の頃に偶然EYEVANのアイウェアを購入して、ブランドについて調べてみたら“日本初のファッション・アイウェア”というコンセプトを掲げていることを知り、その事実にまず惚れ込んで。それにEYEVANのアイテムは他のブランド以上にかけた時のフィット感が抜群で、これは一生使い続けるものだと思いました。その頃からいつかEYEVANに関わりたいと思っていたのですが、1年ぐらい前にEYEVANの山本社長とお会いする機会をいただき、そこで今年50周年を迎えるにあたり、周年のプロモーションをしたいと思っているとお聞きして、すぐに今回のランウェイの企画を作ってプレゼンしました。私としては運命的な縁を感じていました。
OSRIN 自分はファッションには疎いタイプなので、正直ブランドのことは知らなくて。EYEVANのことを教えてくれたのはRakなんです。今年二月ぐらいに俺が中心になって動かしていたプロジェクトをRakに手伝ってもらった時に初めて出会いました。その後、別件で一緒に沖縄ロケに行くことになり、「サングラス欲しいな」と言ったらRakが青山骨董通りのショップに連れて行ってくれて、そこでブランドの成り立ちから詳しく解説してくれて。それで今50周年に向けた企画を進めていて、一緒にやらないかと声をかけてくれたんです。普段は自分主導でのものづくりが多いから、誰かの企画に乗っかりたいなとちょうど思っていたので、これは面白そうだなと。
—— では今回のランウェイのコンセプトはどのように生まれたのでしょうか。
Rak 私がEYEVANに惹かれた一番の理由が“着るメガネ”という概念だったので、EYEVANであればランウェイができるんじゃないかと思ったんです。そしてブランドのことを知らない人にEYEVANが自己紹介するのであれば、どれだけ緻密に作られているか、デザイン性や価格帯がどうかといったことよりも、まずはブランドの起源やスタンスを知ってもらうことが重要だと思った。それで旧約聖書をモチーフに、アダムとイブが禁断の果実を食べたことで“人間”になり、装うことを覚えた瞬間をランウェイのストーリーに落とし込もうと思ったんです。
OSRIN 今回のプロジェクトはランウェイだけでなく年間を通して様々な展開をしていくもので、Rakはそれらを統括するディレクターであり、ブランドの軌跡を“残す”ことに重きを置いていた。だから俺はランウェイをやるにあたっては映像的な観点からこういうステージ設計にすると映像が撮りやすいといった意見を出していって。そこが出発点としてあったから、どんどんモデルが登場する一般的なランウェイのセオリーは無視して、全く新しい形のショーを作り上げたかった。しかも関わるメンバーはこれまでランウェイなんて作ったことのない人たちばかりで、さらに菅原小春というものすごい表現者が出演する。そこが今回のランウェイの大きな特徴であり、面白い部分だったと思います。
—— 菅原さんをはじめとしたダンサーのみなさんの身体表現は鬼気迫るものがあり、本当に圧倒されました。
Rak 禁断の果実を食べ、メガネをかけることで人間になるストーリーにしたいとOSRINに伝えたら、「じゃあ小春に出てもらう?」と言い出して。彼女は私の憧れの存在だったので、小春ちゃんが出てくれるのなら一緒にステージを作っていきたいと思いました。
OSRIN 単なる出演者として小春に出てもらうのではなく、彼女を巻き込んでいくほうが絶対にいいと思ったんです。だからブランドの概念から話をしていき、彼女とRakの意見を擦り合わせていく必要があると思いました。
Rak 初めて小春ちゃんと会ったのは代々木公園で、みんなでストレッチしたり、三点倒立をしたりしながらEYEVANの話をしたことは忘れられない大切な思い出です。
OSRIN 音楽に関しても、今回音作りを担当してくれたMONJOEの家に小春も含めてみんなで集まって、俺たちの声を録音したりしながら制作を進めていって。結果、小春が生み出した振り付けの一つひとつの動きにはRakや俺たちの思い、そしてブランドの本質が表現されていたと思います。
ものづくりに必要なこと
—— 今回のアイウェアブランドによるランウェイという斬新なクリエイティブもそうですが、おふたりは様々な分野で日々ものづくりをされています。常に大切にしていることはありますか。
OSRIN どんな仕事をする上でも、目指すゴールに対して関わるメンバー全員が同じ視点、同じ意識で動いていけるようチューニングすることが大事かなと思っていて。それがものづくりにおいては大前提だと考えています。
Rak 私は自分が関わった意味を残すということを大切にしています。企画したり撮影したり、ロゴをデザインしたり絵を描いたり、どんな時でも依頼された通りのものをただ作るのではなく、私というフィルターを通すとこうなります、というものを提示したい。
OSRIN ものを作っている人間が世の中にはたくさんいる中で、なぜ自分がそれをやるのか。その意味を自分もいつも考えている。俺たちは芸術家ではないけども、オリジナリティが絶対に必要で。そのためには自分がどんな人間なのかを常に考え続ける必要がある。考えることをやめた瞬間、クリエイターとしての自分は終わりだと思う。
Rak だからこそ、ブランドの本質を伝えるために私たちがそれぞれの個性を融合させて表現したいと思ったランウェイの企画を実行させてくれたEYEVANは、芸術的で革新的だなと思いました。
Rak クリエイティブディレクター/アートディレクター。広告代理店を経て、2020年に独立。ファッションや音楽の領域を中心に、デザイン、プランニング、アートディレクションなど多角的なクリエイションを得意とする
OSRIN 映像作家/アートディレクター。クリエイティブレーベル「PERIMETRON」所属。音楽、コマーシャル、ドキュメンタリー、ファッションまで、圧倒的な世界観の中に精密な表現を設計し、エモーショナルかつエッジな演出で多彩な表現を生み出す
TEXT: SWITCH
DIALOGUE
Rak × OSRIN “残す”ためのクリエイティブ
“アイウェアブランドによるランウェイ”という斬新なアイデアを実現させた2人のクリエイターが語るEYEVANへの思い、そして、ものづくりへのこだわり

PHOTOGRAPHY: NAGANO KYOHEI
運命に導かれて
—— EYEVAN50周年を記念したランウェイ「眼服」において、Rakさんは全体を統括するクリエイティブディレクターとして、OSRINさんは主に映像をディレクションするゼネラルディレクターとして参加されたわけですが、おふたりがこのプロジェクトを手掛けることになった経緯を教えてください。
Rak 大学生の頃に偶然EYEVANのアイウェアを購入して、ブランドについて調べてみたら“日本初のファッション・アイウェア”というコンセプトを掲げていることを知り、その事実にまず惚れ込んで。それにEYEVANのアイテムは他のブランド以上にかけた時のフィット感が抜群で、これは一生使い続けるものだと思いました。その頃からいつかEYEVANに関わりたいと思っていたのですが、1年ぐらい前にEYEVANの山本社長とお会いする機会をいただき、そこで今年50周年を迎えるにあたり、周年のプロモーションをしたいと思っているとお聞きして、すぐに今回のランウェイの企画を作ってプレゼンしました。私としては運命的な縁を感じていました。
OSRIN 自分はファッションには疎いタイプなので、正直ブランドのことは知らなくて。EYEVANのことを教えてくれたのはRakなんです。今年二月ぐらいに俺が中心になって動かしていたプロジェクトをRakに手伝ってもらった時に初めて出会いました。その後、別件で一緒に沖縄ロケに行くことになり、「サングラス欲しいな」と言ったらRakが青山骨董通りのショップに連れて行ってくれて、そこでブランドの成り立ちから詳しく解説してくれて。それで今50周年に向けた企画を進めていて、一緒にやらないかと声をかけてくれたんです。普段は自分主導でのものづくりが多いから、誰かの企画に乗っかりたいなとちょうど思っていたので、これは面白そうだなと。
—— では今回のランウェイのコンセプトはどのように生まれたのでしょうか。
Rak 私がEYEVANに惹かれた一番の理由が“着るメガネ”という概念だったので、EYEVANであればランウェイができるんじゃないかと思ったんです。そしてブランドのことを知らない人にEYEVANが自己紹介するのであれば、どれだけ緻密に作られているか、デザイン性や価格帯がどうかといったことよりも、まずはブランドの起源やスタンスを知ってもらうことが重要だと思った。それで旧約聖書をモチーフに、アダムとイブが禁断の果実を食べたことで“人間”になり、装うことを覚えた瞬間をランウェイのストーリーに落とし込もうと思ったんです。
OSRIN 今回のプロジェクトはランウェイだけでなく年間を通して様々な展開をしていくもので、Rakはそれらを統括するディレクターであり、ブランドの軌跡を“残す”ことに重きを置いていた。だから俺はランウェイをやるにあたっては映像的な観点からこういうステージ設計にすると映像が撮りやすいといった意見を出していって。そこが出発点としてあったから、どんどんモデルが登場する一般的なランウェイのセオリーは無視して、全く新しい形のショーを作り上げたかった。しかも関わるメンバーはこれまでランウェイなんて作ったことのない人たちばかりで、さらに菅原小春というものすごい表現者が出演する。そこが今回のランウェイの大きな特徴であり、面白い部分だったと思います。
—— 菅原さんをはじめとしたダンサーのみなさんの身体表現は鬼気迫るものがあり、本当に圧倒されました。
Rak 禁断の果実を食べ、メガネをかけることで人間になるストーリーにしたいとOSRINに伝えたら、「じゃあ小春に出てもらう?」と言い出して。彼女は私の憧れの存在だったので、小春ちゃんが出てくれるのなら一緒にステージを作っていきたいと思いました。
OSRIN 単なる出演者として小春に出てもらうのではなく、彼女を巻き込んでいくほうが絶対にいいと思ったんです。だからブランドの概念から話をしていき、彼女とRakの意見を擦り合わせていく必要があると思いました。
Rak 初めて小春ちゃんと会ったのは代々木公園で、みんなでストレッチしたり、三点倒立をしたりしながらEYEVANの話をしたことは忘れられない大切な思い出です。
OSRIN 音楽に関しても、今回音作りを担当してくれたMONJOEの家に小春も含めてみんなで集まって、俺たちの声を録音したりしながら制作を進めていって。結果、小春が生み出した振り付けの一つひとつの動きにはRakや俺たちの思い、そしてブランドの本質が表現されていたと思います。
ものづくりに必要なこと
—— 今回のアイウェアブランドによるランウェイという斬新なクリエイティブもそうですが、おふたりは様々な分野で日々ものづくりをされています。常に大切にしていることはありますか。
OSRIN どんな仕事をする上でも、目指すゴールに対して関わるメンバー全員が同じ視点、同じ意識で動いていけるようチューニングすることが大事かなと思っていて。それがものづくりにおいては大前提だと考えています。
Rak 私は自分が関わった意味を残すということを大切にしています。企画したり撮影したり、ロゴをデザインしたり絵を描いたり、どんな時でも依頼された通りのものをただ作るのではなく、私というフィルターを通すとこうなります、というものを提示したい。
OSRIN ものを作っている人間が世の中にはたくさんいる中で、なぜ自分がそれをやるのか。その意味を自分もいつも考えている。俺たちは芸術家ではないけども、オリジナリティが絶対に必要で。そのためには自分がどんな人間なのかを常に考え続ける必要がある。考えることをやめた瞬間、クリエイターとしての自分は終わりだと思う。
Rak だからこそ、ブランドの本質を伝えるために私たちがそれぞれの個性を融合させて表現したいと思ったランウェイの企画を実行させてくれたEYEVANは、芸術的で革新的だなと思いました。
Rak クリエイティブディレクター/アートディレクター。広告代理店を経て、2020年に独立。ファッションや音楽の領域を中心に、デザイン、プランニング、アートディレクションなど多角的なクリエイションを得意とする
OSRIN 映像作家/アートディレクター。クリエイティブレーベル「PERIMETRON」所属。音楽、コマーシャル、ドキュメンタリー、ファッションまで、圧倒的な世界観の中に精密な表現を設計し、エモーショナルかつエッジな演出で多彩な表現を生み出す
Choreographer/ Performer:
Performer:
Creative Director:
General Director/Movie Director:
Photographer/DOP:
B-roll Cameraman:
Lighting Director:
Set Designer:
Florist:
Stylist:
Costume Designer:
Make Stylist:
Hair Stylist:
Music:
Stage Director:
Project Manager:
Line Producer:
Producer:
Performer:
Creative Director:
General Director/Movie Director:
Photographer/DOP:
B-roll Cameraman:
Lighting Director:
Set Designer:
Florist:
Stylist:
Costume Designer:
Make Stylist:
Hair Stylist:
Music:
Stage Director:
Project Manager:
Line Producer:
Producer:
Koharu Sugawara
Yasuharu Kawate
AO
Shiryu Sejima
kEn kEn
Rak
OSRIN (PERIMETRON)
Tomoyuki Kawakami
Takuma Iwata
Michito Hokari
Yui Miyamori
(Diamond-Snap)
RYOTA HAGIWARA
Remi Takenouchi
Kumiko Takeda
EBARA (W)
KUNIO KOHZAKI (W)
MONJOE
Yuma Seki
Nanami Tanaka
Yusuke Tamura (NION)
Marie Ando
Yasuharu Kawate
AO
Shiryu Sejima
kEn kEn
Rak
OSRIN (PERIMETRON)
Tomoyuki Kawakami
Takuma Iwata
Michito Hokari
Yui Miyamori
(Diamond-Snap)
RYOTA HAGIWARA
Remi Takenouchi
Kumiko Takeda
EBARA (W)
KUNIO KOHZAKI (W)
MONJOE
Yuma Seki
Nanami Tanaka
Yusuke Tamura (NION)
Marie Ando


EYEVANのすべて
1972年、“着るメガネ”というコンセプトのもと、日本初のファッションアイウェアブランドEYEVANが誕生した。
日本の粋と静謐なカルチャーから表現したデザインと、世界にも誇る精密なクラフトマンシップを根底に、ファッションアイテムとして身につける楽しさへの想いを注いだプロダクトは、1985年にロサンゼルスにある一軒のアイウェアショップの審美眼によって海を越えてゆくことになる。
それから四半世紀以上経った今、これまでに培ってきた数多の経験と実績を胸に刻み、日本のマイスターたちの手による最新技術と新たな装いをまとい、ここによみがえる。
このコンテンツでは、当時のEYEVANを知るパイオニアたちの証言をはじめ、過去のアートワークやプロダクト制作の裏側、復刻したプロダクトまで、創設当時〜現在を明かす、EYEVANのすべてを収めた。
日本の粋と静謐なカルチャーから表現したデザインと、世界にも誇る精密なクラフトマンシップを根底に、ファッションアイテムとして身につける楽しさへの想いを注いだプロダクトは、1985年にロサンゼルスにある一軒のアイウェアショップの審美眼によって海を越えてゆくことになる。
それから四半世紀以上経った今、これまでに培ってきた数多の経験と実績を胸に刻み、日本のマイスターたちの手による最新技術と新たな装いをまとい、ここによみがえる。
このコンテンツでは、当時のEYEVANを知るパイオニアたちの証言をはじめ、過去のアートワークやプロダクト制作の裏側、復刻したプロダクトまで、創設当時〜現在を明かす、EYEVANのすべてを収めた。